買い物で子に駄々を捏ねられた時の絶望感
子供連れの買い物。
どこの子供連れの家庭でもそうだろうが、
我が家の年子3人が幼かった頃も、買い物に行こうとなるとひと騒動だった。
小さくて丸いものを片っ端から食べていこうと口に入れ、
穴を見つければ細長い棒を突っ込まずにはいられない年頃の幼児を、
家に一人で置いておくわけにはいかないし、まして二人で留守番させるのもまだ無理。
3人まとめて留守番なんてさせると、家ごと破壊されて無くなる恐れがあった。
しかも買い物に出たら出たで、難問も山積みだ。
避けては通れないお菓子エリアに始まり、キャラクターもののカートの運転席争奪戦、
振り向いたら消える子、商品を触りたがる子、時間差でトイレに行きたがるなどなど……。
その中でも、駄々を捏ねられたとき、ほとほと困って泣きたくなったのを覚えている。
店で子供が駄々を捏ねる時、理由はさまざまあるだろうけれど、そのひとつに、
【今なら、要求が通せそうだ】というのもランクインしていると思う。
周りに人目が多く、母親が大きな声で叱るのをためらいそうな、取り合えず仕方ない、と
交渉に応じそうな状況。
そんな時に「今だ!」と思い切り駄々を捏ねて見せるのではないかと思うのだ。
こんな嫌らしい仮説を立てるのはなぜかというと、何を隠そう、
私自身がそんないやらしい子だったからだ(いばるな)
『泣いたら簡単に手に入る』こんなぼろ儲け経験は、一度味をしめたら絶対に次も使うだろう。
なんなら、いい大人がこの手法を駆使して、思い通りに事を進めていくのも何度か目にしてきた。
『涙はなんちゃらの武器』とも言いますしね(おっとこの話はまたどこかで)
買い物に出かける度にへとへとになって車の中に乗り込み
「んもー!なんで?普段はそんな我儘言わないじゃんか」と帰り道に子供に注意する、
そんないやなルーティンを抜け出すべく、私は考えた。
子供と契約を交わす
子供はお菓子が欲しい。私は店で大騒ぎするなと言い聞かせたい。
ならば私は、【騒がなかった時は必ずお菓子を買う】ということを契約して
『騒ぐ・騒がない』は子供自身に決めさせる事にした。
A 騒がない。契約通り好きなお菓子を買ってもらい、褒められる。
B 存分に騒ぐ。不履行なのでお菓子は買ってもらえない、文句も通らない上に説教される。
毎回、お店についた駐車場で子供たちと「今日はどっちにする?」と契約ごっこをした。
あ、お店や病院など、人が集まることで周りにどんな迷惑をかけるのかを説明した上でね。
子供たちは、その日の気分で決めているようだったが、【けいやく】という大人びたワードを
使うのが嬉しいようだった。
この契約は、実は親の私に大きく効果があった。
「騒ぐ」と宣言された上で騒がれても「はい、そうですわな」と、感情的にならずに
叱ることが出来た。そしてなにより叱られた側の、子供の受け取り方がスムーズなのに驚いた。
自分で選択した通りに叱られる子供は、「よくわかんねーけど叱られた」ではなく
「自分で叱られるのを選んだ」という感じで、素直に話を聞けるような状態に変化したのだ。
二人はお菓子を手に入れたのに、自分だけがお菓子を手に入れられなかった、そんな状況が
何度かあったのも、相当堪えたのだと思う。
それまでの人の目を気にして、叱ったり叱らなかったりの私のやり方は、子供たちが
「母親の機嫌が悪いから当たられた」と捉えていたことを知った。
ご褒美制は損得勘定が肥大するのでよろしくない、と言われそうだが、私もそう思う。
なので私は【けいやく】という勝手な解釈の逃げ道を作り、
『これは母から授けられた褒美』ではなく、子供が『自分で頑張って手に入れた成果』だと
『母が怒っているから叱られた』ではなく『叱られるの自分で選択をした』と
あくまでも母がいようがいまいが、契約だから結果は変わらないのだと説明をした。
叱る時には一緒になってほかの兄弟が「私はできたのにー」「なんでできなかったのー」
「だから言ったのに」など、一切口を出させないようにした。
このやり方は現在まで続いている。嫌なこともうれしいことも人のせいにしないようにする為に。
褒める時にも同じように、その子一人だけに合った称賛を、渡した。
次第に子供たちは
「騒いでも要求は通らない」「何もいいことないじゃん」と理解して(こんな理不尽契約当たり前だ)
行儀よく買い物を済ませて、得意げにお菓子を選ぶようになった。
好きなお菓子という約束なので、ファミリーパックの大きな袋を持ってきた時は「まじかよ」と
思ったが、そこはぐっと我慢。笑顔で「けいやく、まもれてすごいじゃんー」と買った。
そのうちに「けいやく」をしなくとも買い物ができるようになり、3人が協力して
お菓子の分配(金額、量が公平になるように)をいかに達成するかにシフトしていき、
お店の駐車場での契約談議はなくなった。
今では我が子も大きくなって、買い物についてきてくれることも減り、
私一人で買い物することがほとんど。
店内で、泣いて訴える子供ちゃんに困り果てる保護者の光景を目にすると、
「大変だよね!」「全然大丈夫だから」と応援したくなってくる。
あぐらを組んでオンラインゲームをしている子供の横で、
「ああ、君も散々ぐずっていたよね、あの頃が懐かしいよ」と思いながら書いてみました。
誰の何の足しにもならない、我が家の昔話。