【日常】 8月14日~8月14日

2021/08/14(土) 

お盆です。昨日にお盆参りで、実家に帰ってきました。
去年はカンカンにいい天気で、暑さに参る程だったけれど、
今年のこの雨、ご先祖様は何を知らせてくれたんだろう、何かのメッセージなのかしら?
なんて考えてしまう程の土砂降り模様でした。

↓ 昨年のお盆参りです。ぴーかん夕暮れ。

本当にここ近年、確実に水災害が多くなってきていますよね。
先日書いたこのブログ、「この歳まで生きてきた私にも、まだ初めて体験する程の恐怖があるの!?」という程震えた体験でしたが、地震や津波に加えてこれからは、豪雨災害も「よく起きる」として備えないといけないって事ですかね。昔より様々な事案に備えて生きていかないといけない子供達は大変ですね。

大変ですね、とか他人事みたいに言ってる場合じゃないですね。
私も子供達の巣立った後、子達に心配かけてお荷物にならないように頑張らないと。
災害マップや、応急サバイバルなどの緊急BOOKを用意する事にします。

今回の大雨で、皆様のお住いの地域のご無事を強くお祈り申し上げます。
どうか、どうかご無事で何方にも被害がありませんように。

実家は骨董市場な様相でした

さて、子供達と実家に行ってきた訳ですが、なにやら実父が覚醒しておりまして。仕事で貰った骨董品が、「古ければご馳走」とばかりに家のあちらこちらに 置き捨てて飾ってありました。掛け軸から始まり、レコードプレーヤー、戦時中の絵葉書、昭和前期の保温ポット、タイプライターやレジスター、江戸時代の調薬器などなどなどなど・・・。

まだまだ書ききれない程溢れていましたが、段々と引き込まれて見入ってしまいました。
昔の物はすごく作りが丁寧ですね。細部までしっかり作り込んであって、
子供達と「どんな気持ちで使ってたんだろう」とノスタルジックな感覚で話が盛り上がりました。

でも一つだけよく判らないのがありました。

↑ この人。

毎回玄関でお出迎えしてくれるんですが、どこの誰ですか。威圧感が半端ないんだが。

絶対外国のどなたかですよね。どこの民族の衣装でしょう。
知ってる方がいらっしゃったら是非教えて下さい。てか尻の位置。

何故持ち帰ったし実父。

 

そんなこんなと騒がしくしながらもお墓に参り、お仏壇にも手を合わせる事が出来ました。
両親は少しやせて白髪も多くなっていたけれど、元気で良く笑っていてくれていました。

今年もにぎやかに仏様と過ごす事が出来て良かった、ありがたい1日でした。

毎年盆提灯には、儚い明りで心が鎮められます。すごく綺麗。

【あれやこれや】 迷惑とは結果論じゃないの?

 

人に迷惑をかけてはいけません

 

「完璧な人間なんていない。結果的に迷惑をかけた、となる事は合っても、
自分から人様の「時間」「体力」「気持ち」を毟り取って迷惑をかけてはいけません。」

そう躾けられて育ってきた。そして我が子にもそう躾けて来た。

所が、だ。

最近「迷惑はかけてもいい」というような文章を目にした。

失敗し迷惑をかける事を恐れてチャレンジしないくらいなら、
迷惑なんか気にせずにチャレンジするべき!
という話や、 
迷惑なんて生きていれば、誰もがするしされるし、それが当たり前という話だった。

「なるほどなあ。」と言う気持ちと「いやちょっと待て」の両方が頭の中をグルグルする。

話の筋をずらされている様な気がするのだ。

そもそも論を言えば、迷惑なんてものは、
【掛けたくはないし、掛けられたくもない】ものだと思う。

ややこしくなるので、ここでは【やむを得ない場合】の話は含めない。

  1.  ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。「人に迷惑をかける」「迷惑な話」「一人のために全員が迷惑する」

 

とあるように、【迷惑】は、必ず他者を巻き込むか巻き込まれるかという話なので、
「かけてもいいんだ気にするな」とは何事か、と思ってしまうのだ。

困っている人がいれば助けたいし、助けて貰ったら申し訳なく感謝していく。
それは「迷惑」ではなく「思いやり」のような気もするが、かといって出来る事と言っても、
それは「自分の助けられる範囲」でしか助けられないし、
相手に無理をさせる理由にもならない筈だ。

迷惑を気にせずにかけていこうぜ。という理屈を通せば、結果的に周り回って
人からバンバン迷惑をかけられてもOK。と同義となる事はどう思うのだろうか。

私は不必要な迷惑は許容していきたくないと思うし、かけたくない。
やはり冒頭の様に「各々が迷惑はかけないように意識・人助けは思いやり」とすることが
【迷惑の母集団】を減らして、全体の【迷惑をかけた・かけられた】体験の減少に繋がると思っている。

「気にせずに迷惑かけていこうぜ」というのは、
いつどこにでも迷惑を降り撒りまいていくぜ宣言に聞こえて
「助けないといけませんか」感が半端ないのである。

迷惑をかけて胸張られましても。なんだよな。
でも、助けないとぼろクソに叩かれる?勘弁してほしい。

斉藤由貴だって言ってますものね。
「卒業式で泣かないと冷たい人って言われそう」って。
そんなの、親切でもなんでもない。助けたいと思って助けたい(意味がわかんない)

現代の世の中は、傷つきやすく、腹を立てやすくて許し難く、
応援するならまるっと100%必須で、批判なんて以ての外
被害者は1%の非も無く象られ、加害者は1パーセントの存在価値も認められない。

えらい極端な世の中になったと思う。
自分を大事にすることは、他者を蔑ろにするということではない。
自分と他者は、どちらかを優先選択しないといけない訳ではない。
どちらも共存できるし、誰もが少しづつ譲り合い、認め合えると信じて生きている。



 

 

 

【あれやこれや】 昔思った「死にたい」と現在浮かぶ「死にたい」は違う

死後の世界はバラ色の楽園

「ねえ。死にたいと思った事ある?」

何気ない会話から、我が子にそう聞かれた。相変わらず遠慮のないインタビュアーだ。
別に隠す事でもないから、「もちろん。あるよ」と正直に答えた。

「なにがあったの?」

なにがあったのか、説明する事は簡単に出来る。出来るんだけれど、伝えたところであの頃の「死にたい」が昇華して消える訳じゃなし、ましてやこの子達のこれから出会うであろう「死にたい」にとって、なんの役にも立たないと思う。そして第一、現在は全然死にたくなんかはないのだ。

なので「まーねー。」はぐらかして答えなかった。

「じゃあさ、なんで死ななかったの?」

だからなんとかなんねえのか、そのストレートな質問。

まあそれははっきりと答えられた。


「死んだ後の方が更に辛かったら、いよいよ逃げ場所なくなるから」

「なにそれ」我が子は判ったような、判らない様な不思議な顔をして、首を傾げていた。

私は死に対して、夢を持っていた時期がある。小学校の中学年くらいだろうか。
「死んだあとって、どんな世界なんだろうか」そんな事を考えて暇を潰すような子だった。

華やかな痛みの無い、悩みの無い、諍いの無い世界。

まるで楽園のような絵しか浮かばず、
逆に「この世にいていいのか?早くあちらへ行きたい!」位は思っていたと思う。

今考えたら両親に「ばかたれ!この子はなんて事を!」ガチぽっこに叱られてもおかしくないような
親不孝な事を想像していたのだが、当時はそんな事も判らずにほんわかお花畑している子だった。

そのイメージが、ある日ぐっちゃんぐっちゃんに崩れ去った。

30んん年前の夏休み。
当時中学1年だった私は、家でゴロゴロしながらカセットテープに録音していたラジオを聞きつつ、
ごろごろとのんびりしていた。

「かーつぼちゃん。お電話よ」

祖母が私を呼ぶ。電話は中学校の担任だった。

よっこらせ、と電話を替わった私に先生がはっきりと言った。

「よく聞いてね、今朝、クラスの矢野君(仮名)が交通事故で亡くなりました」

なんの言葉も出なくて、受話器を固く握ったまま必死で頭をフル回転させた事を覚えている。

なんでわざわざ先生は、私に悪い冗談を言ってきてるんだ?
夏休みにだらけて過ごしていないかのチェック電話なんじゃないか。
いや待った。先生はこんな冗談を言う人じゃない。

とぼけた頭がすっかりと冷える頃には、手元に自分の字で書かれたお通夜と告別式の時間がメモされていて、
「悪い冗談」疑う隙間も無くなってしまっていた。

令和の現在なら、同級生の子供の死をどう伝えるものなのだろうか。連絡網などで保護者伝いに教え合うものかとは思うが、いかんせん昭和後期時代だ。私の身に起こった事も酷だったが、事実なのだから仕方がない。

あっという間にこの世からいなくなった

2日に続いたお通夜と告別式は、私は告別式に出た。
一日だったが、心の整理がしたかった。(無理だったが)

亡くなった矢野は小学校から一緒で、何故か同じクラスで同じ班や委員になる事が多かった。矢野は背が低いのに、背が高かった私にいつもいつも悪態をついてきた。

何故かお互いに「素直じゃないけれど、悪い子じゃなさそう」という、
暗黙の安心の中で、からかい合っている様な関係だった。

 

彼が亡くなる前日、学校で夕方まで一緒に作業をした。休み明けの運動会準備だ。
いつも通り悪態をつき合いながら、交差点まで一緒に帰り。

「じゃなあブス!」

「おうよ!ちび!」

「ほんじゃあな!」

 

同時に叫んで別れた。

その翌日。朝から遊びに行く途中の彼は、信号のない交差点で車に轢かれたとの事だった。

 

 

何故そんないきさつを知っているのか?

 

矢野のお母さんから聞いた。

 

 

矢野の実家で行われた告別式の後、先生方や同級生が帰る中、矢野のお母さんに声を掛けられた。

「今日はありがとう。お茶入れたから飲んでいって」

私ともう一人の同級生は「はい」と答えたものの、どうして良いものか心底気まずかった。

 

矢野のおうちはお祖父さんの仏壇があった。
お祖父さんの写真のすぐ横に、矢野の中学入学式時の写真が飾ってあってたまらなかった。

 

「この子はね、多分今も自分が死んだことも判ってないの」

「この子は、あちらで元気に過ごせると思う?」

 

 

怖くなり何も喋れなかった。同時に「死んでないよ!」とだけ言いかけて、流石にやめた。
告別式の直後なのだ。死んでる。確実に。


でもそれくらいにお母さんは打ちのめされてて、こう言った。

「私より先に逝ってしまって、あの子はいま彷徨っている。今も。これからも。」

 

泣き崩れるお母さんのその言葉を聞いて、私は「矢野は、今幸せじゃないのか?」と、
「全て満たされる世界へ逝ったんじゃないのか」と不思議に思った。
すごく変な表情をしていたと思う。

その時に何かを掴んだ。答えなんて手に入らない。そう判った。

「あの世のこと」なんて、「残っている人が決めるんだ」あの時そう思った。

楽園なんかじゃない、もっと恐ろしい所なのかもしれない。

そういや死んだら楽になれるなんて、死んだ人から教えて貰った事なんてなかった。

夢のように描いていた死後の楽園が崩れ去った瞬間だった。

矢野。大丈夫だったかお前。

 

 

そこから現在まで、私が「死にたい」そう思う事は無くなった。いや違うな。
「死にたくなった時」はあった。しかし矢野に教えて貰った事で死なずに済んでいる。
死んだ後の概念が変わったのだ。

「死んだ奴は、どんなに説明したくたって、ものも言えない」んだって。

死んだ後は、「残ったものに導かれる」んだって。

「死んでも楽にはならないかもしれないぞ!」

弁明も出来ずに、やっても無い汚名を擦り付けられて、楽になれるかも判らないなんて!

 

そして現在の「死にたい」へ続くわけだけだけれども、冒頭言ったように死にたい願望はない。

しかし「死んでも良いかも」に変わってきている。子供も不器用ながらお天道様に顔向け出来る様に育ったし、
私の人生を間違いなく勘定してくれる仲間にも出会えたし、たとえ私が一人消えて
「悲しい」ではなく、「あの人らしいわ」と笑ってもらえる位には一生懸命に怠けて来たつもり。
「どう裁かれても怖くねえよ」っていう所か。

今後の願いは、迷惑を掛けずにこの世からどろん、と消える事、かな。
いやー、まだもうちょっと美味しいもの食べたいかな。

【日常】 8月1日~8月1日

2021/08/01(日)

8月に突入ですか。はっやい。

オリンピックもしっかり進んでいて、毎日応援に勤しんでいます。
選手の皆さん本当に凄いですね。トップアスリートともなれば当たり前なのかもしれないけれど、ここぞのここぞでしっかりと全力を出し切れるその精神力のタフさにどの競技も絶叫号泣。

「あれまあ立派になって!」と勝手に母親目線でオヨヨ涙している横で、子供達から「あなた関係ないやろに」と笑われています。お陰でというのか何なのか、運動してみたい気になって家中の家事を、それはもう早送りの様にわしわしとし始めました。セルフタイムアタック。

はた目には完璧に発作起こしたやばいババアですが、「私だってアスリートに」と燃えているので構っちゃいられません。勢い余って「飲む飲む」言って飲まない次男のプロテインや、投げっぱなしの長女のヘアゴムやらをわっしゃあ!と捨ててしまいましたが、アスリート主婦になる為には仕方のない犠牲です。

子供達は夏休みに入りました。
長女は3年生なので部活は引退です。けれど夏休みも夢の進路へ向けてまだまだ忙しそう。
次男もがっつりしっかりと部活があります。みんな頑張れ!

お弁当もある日とない日と。

朝から2時までだったり、夕方までがっつり!だったりみたいな感じなので、
マネージャーよろしく「明日はしっかり弁当ね!(キリッ)」と長女が尻を叩いてくれています。
頼もしいってもんです。

今のところ、テレビ見て泣き叫んで、捨てちゃいけないもの捨てて、スケジュール教えて貰っているだけです。

ババア、頑張ります。ババアでも金!(いるか?)

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