死後の世界はバラ色の楽園
「ねえ。死にたいと思った事ある?」
何気ない会話から、我が子にそう聞かれた。相変わらず遠慮のないインタビュアーだ。
別に隠す事でもないから、「もちろん。あるよ」と正直に答えた。
「なにがあったの?」
なにがあったのか、説明する事は簡単に出来る。出来るんだけれど、伝えたところであの頃の「死にたい」が昇華して消える訳じゃなし、ましてやこの子達のこれから出会うであろう「死にたい」にとって、なんの役にも立たないと思う。そして第一、現在は全然死にたくなんかはないのだ。
なので「まーねー。」はぐらかして答えなかった。
「じゃあさ、なんで死ななかったの?」
だからなんとかなんねえのか、そのストレートな質問。
まあそれははっきりと答えられた。
「死んだ後の方が更に辛かったら、いよいよ逃げ場所なくなるから」
「なにそれ」我が子は判ったような、判らない様な不思議な顔をして、首を傾げていた。
私は死に対して、夢を持っていた時期がある。小学校の中学年くらいだろうか。
「死んだあとって、どんな世界なんだろうか」そんな事を考えて暇を潰すような子だった。
華やかな痛みの無い、悩みの無い、諍いの無い世界。
まるで楽園のような絵しか浮かばず、
逆に「この世にいていいのか?早くあちらへ行きたい!」位は思っていたと思う。
今考えたら両親に「ばかたれ!この子はなんて事を!」ガチぽっこに叱られてもおかしくないような
親不孝な事を想像していたのだが、当時はそんな事も判らずにほんわかお花畑している子だった。
そのイメージが、ある日ぐっちゃんぐっちゃんに崩れ去った。
30んん年前の夏休み。
当時中学1年だった私は、家でゴロゴロしながらカセットテープに録音していたラジオを聞きつつ、
ごろごろとのんびりしていた。
「かーつぼちゃん。お電話よ」
祖母が私を呼ぶ。電話は中学校の担任だった。
よっこらせ、と電話を替わった私に先生がはっきりと言った。
「よく聞いてね、今朝、クラスの矢野君(仮名)が交通事故で亡くなりました」
なんの言葉も出なくて、受話器を固く握ったまま必死で頭をフル回転させた事を覚えている。
なんでわざわざ先生は、私に悪い冗談を言ってきてるんだ?
夏休みにだらけて過ごしていないかのチェック電話なんじゃないか。
いや待った。先生はこんな冗談を言う人じゃない。
とぼけた頭がすっかりと冷える頃には、手元に自分の字で書かれたお通夜と告別式の時間がメモされていて、
「悪い冗談」疑う隙間も無くなってしまっていた。
令和の現在なら、同級生の子供の死をどう伝えるものなのだろうか。連絡網などで保護者伝いに教え合うものかとは思うが、いかんせん昭和後期時代だ。私の身に起こった事も酷だったが、事実なのだから仕方がない。
あっという間にこの世からいなくなった
2日に続いたお通夜と告別式は、私は告別式に出た。
一日だったが、心の整理がしたかった。(無理だったが)
亡くなった矢野は小学校から一緒で、何故か同じクラスで同じ班や委員になる事が多かった。矢野は背が低いのに、背が高かった私にいつもいつも悪態をついてきた。
何故かお互いに「素直じゃないけれど、悪い子じゃなさそう」という、
暗黙の安心の中で、からかい合っている様な関係だった。
彼が亡くなる前日、学校で夕方まで一緒に作業をした。休み明けの運動会準備だ。
いつも通り悪態をつき合いながら、交差点まで一緒に帰り。
「じゃなあブス!」
「おうよ!ちび!」
「ほんじゃあな!」
同時に叫んで別れた。
その翌日。朝から遊びに行く途中の彼は、信号のない交差点で車に轢かれたとの事だった。
何故そんないきさつを知っているのか?
矢野のお母さんから聞いた。
矢野の実家で行われた告別式の後、先生方や同級生が帰る中、矢野のお母さんに声を掛けられた。
「今日はありがとう。お茶入れたから飲んでいって」
私ともう一人の同級生は「はい」と答えたものの、どうして良いものか心底気まずかった。
矢野のおうちはお祖父さんの仏壇があった。
お祖父さんの写真のすぐ横に、矢野の中学入学式時の写真が飾ってあってたまらなかった。
「この子はね、多分今も自分が死んだことも判ってないの」
「この子は、あちらで元気に過ごせると思う?」
怖くなり何も喋れなかった。同時に「死んでないよ!」とだけ言いかけて、流石にやめた。
告別式の直後なのだ。死んでる。確実に。
でもそれくらいにお母さんは打ちのめされてて、こう言った。
「私より先に逝ってしまって、あの子はいま彷徨っている。今も。これからも。」
泣き崩れるお母さんのその言葉を聞いて、私は「矢野は、今幸せじゃないのか?」と、
「全て満たされる世界へ逝ったんじゃないのか」と不思議に思った。
すごく変な表情をしていたと思う。
その時に何かを掴んだ。答えなんて手に入らない。そう判った。
「あの世のこと」なんて、「残っている人が決めるんだ」あの時そう思った。
楽園なんかじゃない、もっと恐ろしい所なのかもしれない。
そういや死んだら楽になれるなんて、死んだ人から教えて貰った事なんてなかった。
夢のように描いていた死後の楽園が崩れ去った瞬間だった。
矢野。大丈夫だったかお前。
そこから現在まで、私が「死にたい」そう思う事は無くなった。いや違うな。
「死にたくなった時」はあった。しかし矢野に教えて貰った事で死なずに済んでいる。
死んだ後の概念が変わったのだ。
「死んだ奴は、どんなに説明したくたって、ものも言えない」んだって。
死んだ後は、「残ったものに導かれる」んだって。
「死んでも楽にはならないかもしれないぞ!」
弁明も出来ずに、やっても無い汚名を擦り付けられて、楽になれるかも判らないなんて!
そして現在の「死にたい」へ続くわけだけだけれども、冒頭言ったように死にたい願望はない。
しかし「死んでも良いかも」に変わってきている。子供も不器用ながらお天道様に顔向け出来る様に育ったし、
私の人生を間違いなく勘定してくれる仲間にも出会えたし、たとえ私が一人消えて
「悲しい」ではなく、「あの人らしいわ」と笑ってもらえる位には一生懸命に怠けて来たつもり。
「どう裁かれても怖くねえよ」っていう所か。
今後の願いは、迷惑を掛けずにこの世からどろん、と消える事、かな。
いやー、まだもうちょっと美味しいもの食べたいかな。