【あれやこれや】小山田・某賢太郎の騒動に呆れかえった話

過去がばれて大炎上

歌手の某小山田と、芸人の某賢太郎が過去の事を暴かれてオリンピック開会式を目前にして辞任を発表した。実際に抗議されている内容を目にしたのだけれど、なるほど人によっては眉をしかめる なんてもんじゃ済まなそうな内容だった。

当然の様に世論は大騒ぎとなり、辞任が発表されたわけだけれども、はたして現在この騒動は収まったんだろうか。

否だ。

まさか他に暗い過去の人物が関わってはいまいな】とでも言わんばかり、まさに涎をダラダラ包丁を研ぎながら次のターゲットを丁寧に値踏みしているように感じる。

「まただ。」

Twitterでこの流れをマスコミが嬉しそうに広めているのを目にして、思わずイラつきを隠せず声に出して呟いてしまった。

私は【正義の暴走】と呼んでいるのだけれど、一つの意見に同意の数が集まり始めると同時に流れが一つにまとまり、まるで本流の正論かの如く、ごく自然な流れで当たり前の様に、「本筋」の様な顔をして。うんざりだ、いい加減にして欲しい。筋の是非は問うたのか!筋道の答えは出たのか!

この世の中は狂ってはいまいかと叫びたくて我慢ならなくなる。

順番を間違えないで

今回の事を例にすれば、誠にこの2人の所業はけしからん話であって、非難も当然と思える。しかし、何故いままで炎上せずに無事にすくすくと活動してこれたのか。表舞台に顔を出す度に「あの時のあいつだ!」と抹殺されず、今期のオリンピックへ抜擢される程にネームバリューを保ってこれたのか。

それは、「非道な発表、またはネタ作り【ばかりを】してこなかった」からではないのか。
決して問題となった言動が主軸となって、今日まで尚外道発信を繰り返している訳ではない様に見える。

ファンが増え続けて生き残っているという事は、ニーズに合わせ、時には「自分の主張」として
一定数の心をつかみ続けて来た証ではないかと、私は思う。


そして、これが一番声を大にして言いたのだけれど、今回の炎上で最も非難されるべきは、

運営側しかない。


足らぬリサーチのまま容易く抜擢しておきながら、炎上した途端に「知らぬ存ぜぬ」と辞任した当人を受け入れた(促した?)運営。恥を知れ、と言いたい。依頼するにあたり、「万が一にでも」と攫わなかったのか。または「知っていたが、許容範囲だ」とでも思ったのだろうか。

どちらにせよ。何故守らなかったのだ。守れないのであれば、何故「見込み間違えた」と述べないのか。

あくまでも当事者の2人は依頼があり、受け、真っ当に期待に副えるべく職務を果たそうとしていたに過ぎないのではないか。過去のした事はいくら騒がれようと、当人は、受けた契約は当たり前に仕上げねばなるまい。

過去が炎上して当惑しているのは当事者であろう。

「今ごろそんな事を蒸し返されても」

絶対にコメントしないだろうが、心の中ではそう悪態の一つも付きたいところではないかと思っている。
何故なら、反省したことを公表しようがしまいが、またはそもそも反省してなかろうが、公表する義務も無ければ、どう思っていようが私たちには知り図る術はないのだから。

目に見える事を批判される。それは仕方がないけれど、隠した覚えのない事で叩かれ仕事を干される。

隠してないんだから、運営は仕事依頼する前に試案しろよ。
なんで仕事受けて、人生まで潰されないとならないんだ?嫌なら俺を避けて通ってくれたらよいではないか。

下手したらそこまで思っているかもしれない。

過去の間違いを、死ぬまで罪人として扱うのは間違っているばかりか、もともと私達には裁く権利はない。
せいぜい「好き嫌い」を叫ぶくらいのものだが、それでは世間の「好き嫌い」に揺れ動く企業や運営がしっかりするべき話なだけである。

選考して起用した運営は、気軽に依頼しては必要以上に貶められた2人への誠意を尽くすべきだ。

「腹を立てさせられた」のではない。「自分の意志で勝手にむかついた」のである。
そもそも人へ暴言を投げつける前に立ち止まれるのが大人であり、
人のせいにせず、怒りのコントロールが出来る様に己の胸にも改めて刻みつけた。

編集

かーつぼ

女。過去の写真は半笑いのものしかありません。
得意顔は、半笑い。人生も、そんな感じで生きてきました。

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