【日常】2025年5月

5月24日(土)

仕事をしていて、心から報われたと思うような嬉しい出来事があった。
それを子達へ伝えると「頑張ってたもんなあ!」とすごく喜んでくれて
私も自分の事なのに「こんなに喜んでくれて!めっちゃ優しいこの子達やばない?」と
なにか外側からドラマを見ているような感覚だった。

実姉達とはあれ以来(事件は先月でした)連絡を取っておらず、
実に爽快で毎日が清らかに生きれている気がする。
母亡き後の喪失感というか脳のブレイク加減は、母というより
あの姉たちとの不毛なやり取りで壊れたんだと今ではストンと落ちた。

先日はクリームスパを作ってソースを煮詰めていると
「なに!?いいにおいがする!ちょっと!麦茶わかしてるの!?」と
長男が嬉しそうに聞いて来たのがツボでした。

クリームスパですよ、麦茶じゃないです。

【日常】2025年3月

3月14日(金)

家での仕事なので、外の天気の変化や気温に疎くなってるなー。
簡単な服装でメイクもしないし、50代独り身世捨てババア、いろいろ考えて生きないといけない。
いけない。とか言ってていても、きっと来週もヘアピンで前髪をわっさり持ち上げて眉も書かず
誰とも会えない状態で仕事しているんだろう。現在ブラのワイヤーも片方突き抜けて乳にぶっ刺さっている。私らしさとはなんだろう。ってやかましいわ。

最近次男と長男が、やいのやいの言いながら二人で切らした煙草を買いに行ったりして面白い。
夜中のドライブ最高!なんだそう。
「(弟といると)なんかいい時間なんだよねー」「(兄といると)なんかぶち上るんだよね」
それぞれが個別にぼそっと言ってくるのが妙に嬉しくてホクホクする。
ここに長女が混じれば、そのまま3日くらい旅行に行く勢いで仲が良いので逆に不思議になってくる。
私の愚痴も言い合ったりしているんだろうけれど、そんなもんも含めて全然ホクホクするし、
私たち姉妹の「溝じゃなくてもはや崖だろ!?」というほどの関係を思えば、
この子達本当すごいなーと、心から安堵している。
何気ない会話でも自分の自論をしっかり述べてくれるし、頼もしい限り。
大きく大きく育ってくれて、ありがとうね。

3月12日(水)

長男と次男との3人生活にもぼちぼち慣れてきた。
実父が会社を畳む事になったのだが、実質経営破綻倒産となるので
しておかないといけない事がてんこ盛り状態となっている。
実父本人といえば実感があるのかないのか未だに壮大な夢物語を語っているが、この人は生まれて子供のころからこの性格のまま70年生きてきたので、今更なにを変えられるという希望もない。
必然的に私の姉2人ともやり取りをせざるを得なくなり、50代モンスター女子と化した姉たちと
LINEグループを作り、連日連絡を取っている。

この姉たちがどんな人物なのか。いつかしっかりと書いてみたいと思っているのだけれど、
書こうとしてはげんなりとHPを削られて断念してしまうので、一生の宿題にしたい。
簡単に言うと【女子】と書いた通り、高校生時代のカースト制度にどっぷりはまりきって抜ける事のなかった【私は悪くない!〇〇のせいだから!】という、他責志向100%、
いうなれば純粋培養夢見る夢子女子(50代)としておく。

そんな永遠とも思われる、決まりかけては根本から無邪気に振り出しに戻される不毛なトークをし続けて押しつぶされそうになっている現状で、長男と次男がそばでにやにやと苦笑いをして
「思う存分闘いなね」見守ってくれているのが何より心温かい。

愚痴なのでXにも書けなかったのだが、妹の立場からここに吐き出しておこうと思う。
実父は実質破産するし、生き方としてもこれから迷惑を掛ける人も少なくない。
けれど、そんな実父の経営する会社に実母は付いていき、
その収入で私たち姉妹は食わせてもらってきたんだ。
他人事のように実父を責めて「恥ずかしい」と罵る前に、
『お疲れ様でした』『大きく育てて頂いてありがとうございました。』
と、言ってもはバチはあたらないのではないかな。

やりきれない日々はもうしばらく続きそうです。きつ。


【日常】2023年10月

2023年 10月22日 日曜日

良く晴れた休日の朝。とても気持ちよく目が覚める。
なかなか寝付けない性分なので、いつも無理矢理の様に「眠くなれ眠くなれ」と
儀式かの様に目を閉じるのだけれど、休みの前日は「眠くなる」まで耐え、
ことん、と意識が落ちるのを待つ。これが何よりの楽しみで、昨夜もそうだった。

「翌日はお昼頃まで寝てやるぞ!」そう意気込んで眠りに落ちたのだが
ちゃんと朝には目が覚めてしまい、妙にがっかりとする。
せっかく誰にも起こされなくなったというのに【いい年】になると、
眠るのにも体力がいるのか・・・?それともここ十数年の週末を、子の部活だの学校だのと
動き回ったから身体が慣れてしまったのか・・・?
どちらにせよ眠り続けてみたかったな。若い頃の様に。

次男は4月から社会人デビュー、現在は我が家から仕事に出かけている。
休日も勤務時間も不規則なので、平日仕事をする私の横でオンラインゲームをしていたり、
今日の様に次男が仕事に出て私が一人のんびり休んでいる日もある。

長女が今夏に彼氏と同棲を始めたことによって、
我が家も自動的に私と次男の絶賛二人暮らしがスタートする事となった訳で。
話しかけると答えてくれるが、自分からはなかなか話しかけて来ることのない次男。
根はとても明るいのだが、言葉を最小限に端的に伝える癖みたいなものがあるので
家は確実に静けさに包まれる。
【静かな我が家】。そんな生活は想像ができなかったが、同時に楽しみでもあった。

ところが、である。

始まってみると、なんかいい感じで。

平日の夕方は仕事を終えてゆっくりと夕飯を作り始め、出来たら私は一人で晩酌を。
この頃に次男が帰宅してお風呂へ。上がると吞んでいる私の横に座り、ポソリ、ポソリと
その日あった事を話しつつ食べ始める。
それを眺めて吞む(突っ込む、笑う、踊る)私。

食事を終えると、オンラインゲームをする次男とパソコンで動画を楽しむ私。
熱いコーヒーを片手に、別々に楽しんでいる感じで、
すんなりと邪魔されずに流れていく感じが妙に心地良い。

たまにどっちかが噴出して笑ったりしてもノー突っ込みで、ノータッチ。
静かなのにお互い「あ、いるな」って感じで、どちらの空気も乱さない感じがすごく良いじゃん。
こんな大人っぽい生活になるのかー、と思った(48歳)。

長女のいた頃の【好きなだけ喋りあって発散】みたいな生活や、
長男帰省の時の【一回笑い始めたら笑いっぱなし】みたいな生活も、どれもすごく良い。
多分選べないし、選ぶ必要もないと思う。みんな個性豊かに育った証拠だもの。
全員集まった時の、ごちゃごちゃした空気も、うちにしか流れない宝物だと思っている。


最近よく思うのだけれど必死でこなしてきた【子育て】が終わったその途端
マッハで【答え合わせ】が始まるの、なんなんだろう良く出来てるよなこのシステム。

子供が嬉しい時や困った時、周りをどう見ているか、どう決心するか。どんな美学や誇りがあるか。
そこにもう私の立ち入る出番はないはず。ただ「私の育児の答え合わせ」として
見守る事しかしてやれないんだろうな。
間違っていた時の、親としてのけじめを持つ覚悟だけは持っておかないと。
怖ええー。そんな日が来ないように祈るしかないな。

そんな事をのんびり思った休日の朝でした。コーヒーが美味しい!!








【あれやこれや】大切にされたいのなら

先日、次男が何気に言った
「あのさあ、なんで男ってだけで女の人に奢らないといけない訳?」
という言葉が面白かった。

「なになに、誰かに奢れって言われたの?」

そう聞いた私に、次男はダルそうに答えた。

「言われては無いんだけどさあ、SNSで奢られなかった女性が
 めちゃくそ怒っているのを見て、なんか変じゃね?って思ったんだよね」

ある女性が男性との食事に際して
・新しい化粧品と服を買い
・ヘアカットを済ませ綺麗にクルクル
・ネイルも完璧
の状態で、お目当ての男性とディナーに行ったらしい。

ディナーでは会話も弾み、美味しい食事を頂いて
『さてお会計』となった時に問題は起きたとの事。
総額は3万弱だったらしいのだが、男性は女性にこう言った。

「〇〇ちゃんは一万でいいからね」

 

・・・この時点で私は【これは奢られてないのか?】と
ハテナがいっぱい頭に沸いて来たのだが、女性はカンカンに怒っていたと言うのだ。
「女に払わせるなんて!安く見られた!ムキー!」と言うことなのだろう。

私は話を聞きながら爆笑してしまった。

永遠バブルかよ。

取り合えず、私は「どう思った?」次男に聞いてみた。

「んー、本来の金額を多く払って貰っている時点で『ありがとう』なんじゃないかな」

んだんだ。そうだよね。
確かに昔は経済が回って回って好き放題な時代は確かにあったけれど、
この女性のディナーに備えての出費は、デート後にも使って元をとれる訳だしね。
そしてここで忘れちゃいけないそもそもは
「自分で食べた食事代を自分で払う」は当たり前なこと。

じゃあなんで奢りたがる男性が多かったかというと
その女性を落としたいのか、一発やれるかも(ごにょごにょ)とか
男として、とかケチに見られたくないやら
色々な理由はあるんだろうなあ。まあ、お金持ってたしね、みんな。

現在でもいると思うの、「奢りたい人」って。
じゃあ昔と何が違うかっていうと【奢りたい人だけに奢りたい】って何言っているか
解らないですよね、要は「自分で奢る人を選ぶ」って事にシフトしているんじゃないかと思う。
滅多矢鱈にいい恰好していられる訳もないんだから、
奢った甲斐があると思える人に奢りたくなるんじゃないかな。

話が逸れそうだ、ごめんなさい。何が言いたいかっていうと奢りまくりたい人は
奢って回ればいいんです。

要は
「あなたは奢られるに値する人ですか?」
って事です。

会話の中で 仕草で 目つきで

 

「あなたとの時間が、すごく楽しい。今日は私が払います。」

それくらいの気持ちが相手にきちんと伝わっていたら、奢られていたかもしれないですね。

私の拙い経験から言わせてもらうと
「自分の食い扶持は自分で」
この精神をきちんと持っている人はも誰からも大切にされています。

大切にされなくて怒るなんて、自分の価値が低いと語ると同じでとてもみっともない。
そして、男性も「奢らなければ」という意識を消すべきです。
守りたくて助けたくてならば止めはしませんが、要求されるなら
今すぐ逃げてお付き合いを止めた方が良いのかもしれません。

自分が得した、損した、なんていう誰かの批判や目先のことで価値を計るよりも
自分自身の価値感をしっかりとどっしりと強く確立して相手と向き合い、

誰かに【ぜひ大切にさせてくれ】そう言われる人を目指しませんか? 

 

 

【日常】 2022年5月

5月27日(金)

そろそろ、五月もしっかりと終わってしまう。
昨日何を食べたかも思い出せないのに、また新しい月が来るというのか。
お構いなしである。

長女は運転ができるようになり、時間を惜しむように彼氏や友達と会って充実しているようだ。
なによりな事。何事も倒れる直前まで走り続ける彼女には、要所要所で疲れをほぐして過ごしていって欲しい。付き合いの長い彼氏とは、そろそろ未来を考えた話もしているという。益々喜ばしいことだ。

「愛」は確かに大切なものだけれど、これだけでは一生を共に過ごすことは難しい。そもそも、愛の熱量を永遠に保ち続けることは不可能だと思っている。一生を共に歩むためには【信頼】と【ほどよい心の距離】が必要。【四六時中一緒にいてもいなくとも、不安になる必要がない、なぜなら心配する必要が無いから】これらを築くことが出来たら多くの問題は回避できる。こう言ってはなんだが、私の手に入れらなかったものだ。泣いてませんよ。いいですか?泣いてなんかいません(鼻水ずばー)

長女の彼氏は、母親の私よりも長女の扱い方を知っている。彼氏にとっても長女はそうなのだろう。
またまた、長女は自分の足で階段を上がろうとしている。我が子ながら尊敬する。

お菓子食い散らかしたまま片付けないけれど。

5月18日(水) 衝撃の衝突。

今日は次男の肩の病院に行ってきた。
次男は長年【野球肩】というものに悩まされている。元来が華奢な骨付きなので、関節に無理が来ているのだと思う。長い野球生活もあと2か月余り。なんとか悔いのない一球を投げて終わってほしいと願う。

それはそうと、同じく診察を受けに来たのであろう女性がバック駐車をしようとして、立体駐車場の支柱に迷いなく後方ライトをぶつけていく瞬間を見た。何度聞いても鉄のぶつかるあの音は心臓に悪い。降りようとしていた私と次男も思わず「うっわっ!」と声を出してしまった。いい速度で下がったから、支柱の事なんてなにも疑わなかったんだろうと思う。あの女性は、診察が終わって帰りながら、凹むんだろうなあ・・・あの人に明日いいことがありますように。

何が恐ろしかったって、その女性が始めに駐車しようとしたのが、私の車のすぐ横だったって事。少し狭かったから諦めたらしいけれど、なんかごめんなさい。

5月16日(月) 荒ぶる好奇心。

あああああ。また月曜日が来た。1日というのか、1週間というのか。
はたまた1か月というのか1年というのか。どうしてこんなにも光の速さで時間が消え去ってしまうのだろうか(ババアだからです)。

そういえば最近、なんとなく1日を捨ててしまうことに焦りというのか、
勿体ないという感覚がある。無性になんでも知りたくて、口には出さねど「なんで?」
「どうして?」と、頭の中が知りたがりのエジソン君だ。

昨日まで知らなかったことが今日知れると、途端にワクワクしてくる。
キノコの種類だって、クレヨンの使い方だって、深海に住む見たことがない生物だって、言葉の由来や自衛隊の車両一つにだって刺激をもらっている。

だからと言って人間的に何か大きくなったかと言えば、全然そんなことないのにね。
きっと【昨日の私】に、胸を張りたいんだと思う。いばりたがりの年頃。

5月11日(水) 心の痛み。

朝から悲しいニュースを耳にした。次男を学校へ送っていく途中の事だった。いつもすぐ裸になりたがるのに、下世話な事が苦手で、後輩や家族思いの優しい芸人さんの訃報。私のショックの大きさは、きっと読んでいる皆さんと同じだと思うので、あえてここでは書かないことにする。

仕事をしながら1日、何度か涙がじわっと出た。正直大好きで仕方なかった訳ではないけれど、テレビで必ず柔らかい笑顔を見せてくれる安心感がすごくて、いじられる姿も頼もしく。
私は「存在するだけ」で「芸」になる人なのだなあと思ったものだった。裸でお湯に落ちているのに。

思い出そうと頭に思い描く彼が、どれも笑顔だった。本当にすごい人だったんだなあと思った。
真実は誰にも分からないし、知ろうとしてはいけない。本人だけが胸に抱いて旅立っていったのだ。
どうかそれだけの決心をした彼が、心の苦しみからすべて解放され、楽になっていて欲しいと祈る。
そして心からの「お疲れさまでございました」と「ありがとうございました」と祈りたい。
合掌。

5月6日(金) 自分だけ休む至福。

この連休、長女はカレンダー通りに飛び石で仕事。
次男は連休中もずっと部活に勤しんでいる。
私は9日まで休みなので、ここぞとばかりに羽を伸ばさせてもらっている。
こんなにたんまりとした時間が出来たのだから、掃除の一つでもすれば良いものの、
読書をしたり猫動画やTwitterを漁ったりして、自堕落に過ごしては笑っている。
かといって悔い改めることも無く、本当にたちが悪いババアだと改めて思う。

今夜はどんなご飯を出そうかな。美味しいって言ってくれたらいいな。
帰ってきた子供たちから、何の話が飛び出すだろうか。楽しく過ごせたかな。
何をつまんで美味しいお酒を呑もうか。

お茶を沸かしながらそんな事を頭に浮かべているくらいだから、
私はまだ幸せなんだなと、ふと、思った休日。




【あれやこれや】 車は鉄のかたまり。かまたり。

最近運転に関する事で、えらくHPがすり減っている。

10月から事故に遭遇する頻度が半端なく、
その中には何件か死亡事故も混じっているからなおさらの上に、
私自身の注意力や瞬発力に衰えを感じているせいだと思う。

なので、間違っても事故を起こさないように気を付けているつもりなのだが、
それでも毎日ひやひやしている気がする。ひどい時は心臓バクバク手汗はびっちょりで、
叫び出しそうになる位に腹が立つこともある。

子供達とも話してみた所、私はこんな状況に怒り狂っているらしい。

  1.  デフォルトの車間距離が近い。
  2.  後ろからのハイビームで目が死ぬ。
  3.  横道から狭い車間への近距離割り込みがえぐい。
  4.  一旦停止の場所どないなっとんねん。飛び出すなて。
  5.  カーブ中にハザード停車して電話する人達。
  6.  論外のポイ捨て。しかもゴミがでかい。
  7.  対向車線同士で路上駐車されたら通るところが無い。
  8.  通れない幅で止まって「カモン」って言われましても。
  9.  スマホ運転でセンターライン侵入グラグラふらふら。

書き出してみて、「ああー」と声が出た。これって、【私は自己中な人に遭遇してます】って事だ。
言い換えたら『自分の好きなように気兼ねなく運転している人』と同じよね。少し判ってきたぞ。

前を走っていたスマホ運転の人に、たまたま私が右折レーンで並んだので
「あなたの運転怖いよ」と知らせてみようとしてみたところ、
停車しているお姉ちゃんは真下を向いてスマホをポチポチだから目も合わない。
知らせようが無いじゃないか。もはやテロだろ。
しかもお姉ちゃん、ポチポチしながら鼻に指突っ込んでホジホジ。
ポチポチでホジホジ。韻踏んでうまいってやかましいわ!その車おまえんちか。

カーブの最中にいきなり登場する「電話かかってきましてな」の人たちももう少し考えたらどうだ。
カーブの最中よ?。ブレーキ踏むけど後続車だっているから怖いのよ。
下手したら電話の人無事で、私がおかま掘られて(今もこう言いますっけ)はい終了、
になる可能性だってある。そんなのやりきれないじゃないの。
そうなったら火付けに行くぞ(物騒)

結果的に後日死亡事故になっていた事故では、長い渋滞を進んでいくと
渋滞は事故のせいだったと判ったんだけれど、追い抜きざまに目に入ったものは
エアバッグは開ききって、運転席ドアの窓はガシャガシャ。
半開きになった運転席のドアから、運転している人の足元だけ車中、足から頭にかけては
車外にはみ出して落ちてしまい、道路に直に横たわってしまっていた。少し先に横転して
運転席が空を向いてしまっている乗用車が1台。

何人も駆けつけて電話で手配していたので、私にできる事はなくその場は帰路を続けたものの、
ものすごいショックな映像として脳裏に記憶した。

この恐ろしい程の納得いかない違和感、伝わるかな。
一般的に【人が横たわる】ってなにか柔らかいもの、酷くとも床だったりして
せめて室内のイメージで固定されていたんだけれど、
【公道に顔をつけて横たわっている姿】はとても異様で、脳みそがバグる程に
自分の観念がかき混ぜられた衝撃的な画だった。

あの道路に横たわっていた女性(50代くらいの女性でした)にも、もちろん家族がいて
事故の結果を聞いて、今も尚どれ程苦しまれて悲しまれているのか。
詳細を調べようも無いけれど、横転した人も無事ではないだろうと思う。

「自分の都合の良い運転」は、「誰かにとって迷惑な運転」となる。
【運転はマナーと譲り合い】とはよく言ったものだ。周りに迷惑を掛けないように
自分も少し神経を使って、事故を少しでも減らしていきたいと思う。
事故は、起こした方も起こされた方も不幸にしかならないから。

とりとめもない事を書き出してみました。乱文失礼。

 

デフォルトで車間距離が近い人でお困りの方いませんか。それが前の車だったりして
「何回ブレーキ踏むねん!」って時もあるし、「後ろの君、近くね?」って時もある。

↓ よろしければお試しください。私だけに効果があるのかも責任はとれません。

【あれやこれや】 エブリデイ戦闘態勢のおかしさ

お前の『良い悪い』は共通基準じゃないからな

なんだか最近、他所の子育てや夫婦間、個人の生活スタイルやセンスなどに
異常な程の熱量でアドバイスをしている『良かれと思って人間』をよく目にしては
「けっ」と尻などをポリポリ掻いています。

悩んでいる人が「皆さんはどうでしたか?」「どう思われますか?」等、
問いに対して回答的にコメントされているのは気にならないのだけれど、
聞いてもいないのに勝手に首突っこんできて、酷い時にはため口で腐して消えていく。

どうなんですかね、これ。
疑問なんですが、こういう人達って、リアルでも顔も知らない人に会って

「あなたの育児、考えられない!親やめたら?」とか
「こんな人だから(国が・性別が・環境が・子育てが・・・等々)良くならないんだ」
「よく気が付きましたね、普通は間違えないので手遅れでしょうけど」

とか面と向かって言うんですかね。

そうして、反論されたら「良かれと思って教えてあげたのにこの人最悪」って不貞腐れているんですけど

頭おかしいでしょ?

自論があるのなら、自分で実践すれば良いだけです。
結果が良ければ発表するのもよろしいでしょう。

でもそれはその人個人にドンピシャ合っていただけで、
他者に押し付けるのは大間違いだと思うのです。

ましてや顔も環境も健康状態もしがらみも知らない人に、「いい事教えてあげる」って。
なんやそら頼んでませんからって話ですよ。

自分と違う行動をしている人を見て、「この人はそう思ったり、こうしたりするんだ」
そう思うだけで流してみてはいかがでしょう。

逆に素敵だと思ったり、真似したいと思った事が合ったら
お礼の一つも付けて伝えたらどうでしょうか。

憂さ晴らしの様に他者に噛みつく行動力を、
誰かを安心させたり笑顔にさせる方へ変えてみて下さい。
意見がある場合は、むしろこのやり方が効果が多いと思います。

「このブログも押し付けじゃねーか」そう言われる事もあるでしょう。

そう捉えてもらっても構いません。事実、私の個人的な主観を書きたくて
ここで吐き出しているので。

私とその方とは【考え方が合わないな】ただ、それだけの事です。
見て頂けたら嬉しいですが、「もう2度と見ないぞ」という選択肢もしっかりあるんです。


自分の悩みと相手の悩みが同じに感じても、【解決方法】はひとそれぞれ。

なんなら自分の悩みの原因が、自分ですら判らない事もありますもんね。

それでも誰が決めつけられる事ではないと思っています。

人に思いやり。自分にも思いやり。

【あれやこれや】 助けてもらって・助けて・助けてもらって

来たか。まだか?秋。

今年もしっかりと夏を味わった。もういい。
「また来年元気な顔を見せておくれ。」・・・と言いたくて仕方がないのだが、
そうはいかないようだ。しっかり蒸し暑いじゃないか。朝晩は涼しくなったが、
日中の蒸し暑さといったら現役バリバリの三原じゅん子みたいだ(ついてきて下さい)

気温が高いとなると思考速度が30%落ちる私は、思わず
「まじ勘弁してください」と土下座の一つでもしたい所。

恋しい。頬が痛くなる程の冷たい風の中、凍えながら「寒い寒い!」と帰宅して、
熱いお風呂に浸かり、そしてグツグツのお鍋をみんなで囲んでハフハフしたい。

結局はそう。食いしん坊に辿り着いてしまう。

あー。夏さん扱いが雑でごめんなさい、どうか怒らないで。

子供にしたことを子供からされる

この通りポンコツまっしぐらな私なのだが、この夏で親子関係に変化を感じた事がある。

あぢいあぢいとボヤキながら私が買い物に出かけると、何気に子供達が一緒について来てくれて、
買ったものを運んでくれたり、冷蔵庫に入れるのを手伝ってくれる。

最近は部活を引退した長女があれこれと、洗濯物を片付けてくれたり
米を研いでお味噌汁を作り、朝にはお弁当の玉子焼きやウィンナーを炒めてくれたりするのだ。


やばい、なにこれ。ここは天国ですか?

 

下手したら、洗い物やお茶まで沸かしてあったりする。
あまりに生活が急に楽ちんになったもんだから、頭がバグっている。

甘え続けるのも申し訳なくなり、テレビの裏を拭き掃除したりしているのだが、なんだか落ち着かない。
常に「いいのかなあ・・・いいのかしら・・・」と、尻の座りが悪いったらない。
いつばちが当たるのではと、いたずらが見つかってビクビクしたあの心境。
そして、ふと思ったのだ。

これって、親子関係が逆転してるのでは?

 

  • 私が生まれて両親からお世話してもらい、美味しい食事を頂いて車で移動させてもらって。
  • 私が両親のお世話を手伝うようになって、食事を作ったり車を出して出かけて。
  • 子が生まれ、我が子のお世話をして、食事を作ったり車を出して出かけて。

    そして。現在子供達が私のお世話を少しづつ始めている。

そう思ったらなんだか、なんか凄いなと。

「したことが返ってきた」という【ご褒美的】なものではなく、
「廻っているんだ」という愛情のバトンリレーの様な繋がりに、この上なく温かい気持ちになった。

 

まあこれは、私の勝手な解釈で、子供達からすれば

 

介護だよ!介護!
うちのババア物まねばっかりして、なんもしねえからな!

 

という可能性も、80%だ(こっちがほぼ正解じゃないか)。

 

素直に言えないけれど、うちの子3人さん達。本当に有難うね。
いつも笑いが絶えないのも、大騒ぎしてにぎやかに楽しめるのも、あなた達のお陰。

母ちゃん、まだまだ頑張って新しい物まね手に入れるからね!(まだ判っていない)

今夜は、子供達の大好きなメニューにしよう。
あ、栗ご飯炊いたから、秋刀魚でも焼こうかな?

【あれやこれや】 迷惑とは結果論じゃないの?

 

人に迷惑をかけてはいけません

 

「完璧な人間なんていない。結果的に迷惑をかけた、となる事は合っても、
自分から人様の「時間」「体力」「気持ち」を毟り取って迷惑をかけてはいけません。」

そう躾けられて育ってきた。そして我が子にもそう躾けて来た。

所が、だ。

最近「迷惑はかけてもいい」というような文章を目にした。

失敗し迷惑をかける事を恐れてチャレンジしないくらいなら、
迷惑なんか気にせずにチャレンジするべき!
という話や、 
迷惑なんて生きていれば、誰もがするしされるし、それが当たり前という話だった。

「なるほどなあ。」と言う気持ちと「いやちょっと待て」の両方が頭の中をグルグルする。

話の筋をずらされている様な気がするのだ。

そもそも論を言えば、迷惑なんてものは、
【掛けたくはないし、掛けられたくもない】ものだと思う。

ややこしくなるので、ここでは【やむを得ない場合】の話は含めない。

  1.  ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。「人に迷惑をかける」「迷惑な話」「一人のために全員が迷惑する」

 

とあるように、【迷惑】は、必ず他者を巻き込むか巻き込まれるかという話なので、
「かけてもいいんだ気にするな」とは何事か、と思ってしまうのだ。

困っている人がいれば助けたいし、助けて貰ったら申し訳なく感謝していく。
それは「迷惑」ではなく「思いやり」のような気もするが、かといって出来る事と言っても、
それは「自分の助けられる範囲」でしか助けられないし、
相手に無理をさせる理由にもならない筈だ。

迷惑を気にせずにかけていこうぜ。という理屈を通せば、結果的に周り回って
人からバンバン迷惑をかけられてもOK。と同義となる事はどう思うのだろうか。

私は不必要な迷惑は許容していきたくないと思うし、かけたくない。
やはり冒頭の様に「各々が迷惑はかけないように意識・人助けは思いやり」とすることが
【迷惑の母集団】を減らして、全体の【迷惑をかけた・かけられた】体験の減少に繋がると思っている。

「気にせずに迷惑かけていこうぜ」というのは、
いつどこにでも迷惑を降り撒りまいていくぜ宣言に聞こえて
「助けないといけませんか」感が半端ないのである。

迷惑をかけて胸張られましても。なんだよな。
でも、助けないとぼろクソに叩かれる?勘弁してほしい。

斉藤由貴だって言ってますものね。
「卒業式で泣かないと冷たい人って言われそう」って。
そんなの、親切でもなんでもない。助けたいと思って助けたい(意味がわかんない)

現代の世の中は、傷つきやすく、腹を立てやすくて許し難く、
応援するならまるっと100%必須で、批判なんて以ての外
被害者は1%の非も無く象られ、加害者は1パーセントの存在価値も認められない。

えらい極端な世の中になったと思う。
自分を大事にすることは、他者を蔑ろにするということではない。
自分と他者は、どちらかを優先選択しないといけない訳ではない。
どちらも共存できるし、誰もが少しづつ譲り合い、認め合えると信じて生きている。



 

 

 

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